小樽と函館―芸術と文化そして紅葉をめでる
2010年10月20日〜22日


バスは国際観光の野呂靖男ドライバーさんと木村弘子ガイドさんはお二人ともヴェテラン。
ガイドさんがコースを記入した地図をバスの中に掲示してくれた。
帰宅して改めて広大な北海道の地図を広げてみる。総走行距離はどのくらいになるのだろうか。国立公園をいくつ通過したのだろうか? |
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ネタは新鮮で大きく、ご飯は少量で、鮨らしいねと語りながら。 |
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夜景と対比すると面白いと聞き、じっくり眺める。長持ちする石造建築をそのまま新しい用途に充てている。往時の街並みが現代とマッチして活かされている。一つの文化を感じる。
北海道開拓の玄関口として発展した小樽は、明治末から樺太方面への、第一次大戦中は欧州への輸出港として賑わい、沖の停泊する本船と石造倉庫とを繋いだのが運河と艀である。
大正時代から昭和初期、小樽は港湾都市として栄える。第二次大戦後、運河を使った荷役は衰退、運河を埋め立てる計画もあったが、市民運動による運河保存運動が展開し、多くの議論が重ねられたのち、1986年運河は半分の幅を残す形で保存されたという。全長1,140m。南側は幅20m(北側は40m)。

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機能美と思われるほど、無駄なく設計されている室内。
ミルでひいておいしいコーヒーが飲めた! |
夕食は少し歩いて魚真(支配人さんの推薦)というお店で。海の幸がいっぱい!
栗名月が冴えた夜の小樽は、昼間と異なった表情を見せてくれた。ライトアップされた街を撮りたかったが、夜景モードに切り替えることをマスターしていないので、残念ながら、ここは空白。



定山渓ダムは札幌190万人の水がめ。
白樺は黄色に。北海道の紅葉は黄色、オレンジが多い。
空気が澄んでいて、オイシイ! |
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ここを下ると支笏洞爺国立公園なのだろうか。
手づかずの自然が残るとガイドさんが話してくれた。 |
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| 蝦夷富士と言われる羊蹄山(標高1,898m)の山頂は雲に隠れていた。豪雪地帯で積雪は10mにもなるとのこと。山麓はじゃがいも(男爵)の産地。ここのじゃがいもはブランド品とのこと。 |
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アイヌ語でなだらかな丘に囲まれた湖を意味するとのこと。周囲43?。不凍湖。湖の中に四つの島がある。反対側の山頂近くサミットが開かれたリゾートホテルが遠望できる。湖の向こうは有珠山。 |
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ロープウェイに乗り、さらに頂上まで登ると、見晴らしがよいとガイドさんから伺い、昼食はパンをかじる覚悟できつい山道を上まで。まさに絶景かな!有珠山の噴火でできた旧山(1910年)と新山(1943年・昭和18年12月6日)が目の前に!戦中のため、破壊案もあったが、ミマスヤスオさんが買い取り、観察記録を続け、孫の三郎さんが引き継ぎ、洞爺湖を火山活動から観光地化に活かしている。 |
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小樽のホテルとは異なり、ゆったりとしたつくり。部屋に居る時間を楽しむ。バイキング形式の朝食もすこぶる美味!たっぷりいただく。
いつも旅の終わりごろになると、カメラの調子が悪くなる。それで、写真の数は激減。 |
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夜景は苦手なので、切符からの転写で! 函館の夜景は生活の灯の反映とのこと。いつまで見ていても飽きない。函館は小樽の街と同じように、幕末・明治の建造物が大事に保存されており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。函館市内の写真が撮れず、残念。 |
函館は1854(安政元)年、神奈川条約により下田とともに開港。翌年日ロ通商条約調印。幕末から明治にかけ、日ロの交流盛ん。安政6年には、ハリストス正教会(重要文化財、ロシア領事館の付属教会として)が建てられた。教会群の散策は異国情緒満点。ライトアップされた夜景も素晴らしかった。東本願寺別院もあり、安心した。明治40年の函館大火により、啄木が勤めていた弥生小学校も焼け、啄木は函館を去る。


ハリストス正教会の神父さんが、時間前だったが、中へ入れ、説明してくださった。
函館大火後、豪商が多額の寄付をして再建。当時の面影が保存されている。内部も公開されている。 |
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駒ケ岳の噴火により川がせき止められ、大沼、小沼、じゅんさい沼の三つができる。
沼と湖の区別は深さや生物の生息状況で生まれるとのこと。たっぷりクルージングを楽しむ!
沼の向こうに見えるのは駒ケ岳。駒ケ岳は見る場所により、形が異なることを実感できた。 |
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